2010.07.05
団参~富士山経ヶ岳大祭~
本日は当院より7名にて「富士山経ヶ岳大祭」に団参に行きました。
以下少々、経ヶ岳について説明いたします。
今から750有余年前、日蓮聖人は鎌倉幕府に対し『立正安国論』を奉進されるも聞き入れられず、文永6年(1269)の夏、法華経による天下太平・国土安穏を願い、現在の山梨県富士吉田に居住していた塩谷平内左衛門の案内により、富士山の中腹五合五勺である、まさに天地の境に自ら書写された法華経を埋経されました。
それ以降、廃仏毀釈によって荒廃寸前であったこの地は塩谷家が守ってきましたが、昭和27年の夏、当時の身延別院初代住職であった藤井日静上人(のちの身延山八十六世)がこの地に参詣した時に荒廃ぶりを嘆いて、時の富士山麓電鉄社長・堀内一雄氏と計り復興計画に着手しました。
先ず堀内氏は三合目までだったバス道路を五合目まで延長する難工事を約束され、一方日静上人は全国に浄財を呼び掛け、ついに昭和26年に鉄骨鉄筋八角堂の常唱殿を完成させました。
以降、経ヶ岳は身延別院第二世、藤井日光上人(身延山九十一世)、身延別院第三世(現住職)に受け継がれ代々守られてきましたが、平成17年にその管理・運営を身延山久遠寺に受け渡しました。現在では久遠寺の直轄地となっています。
先にも述べましたが経ヶ岳復興計画に多大な尽力をして下さった、富士山麓電鉄社長の堀内一雄氏の御子息である堀内光雄氏(現在の富士急行や富士急ハイランドなどは堀内一族の経営)は現在身延別院の筆頭総代です。また、同じように尽力下さった築地鳥藤の鈴木てうさんのお孫さんである、鈴木章夫さんは現在の当院総代です。
以上簡単に述べましたが、詳細は当院までお尋ねください。
当日は身延山より布教部長、布教部の各上人、僧道実修生、布教研修所の研修生や、各地より有縁の各上人、檀信徒さんたちが大勢集まってお参りされていました。
常唱殿
常唱殿内の様子
日蓮聖人銅像
日蓮聖人がお籠りになられた「姥が懐」
法華経が埋経されている宝塔
志納銘板(築地鳥藤・鈴木てうさん)
法要の様子